切り株で休憩

ときどき花を買います

自分は、唯一無二

旅の思い出とか、恋愛トーク、仕事のあるある、結婚や育児など、

部分的な体験談が一致して、分かる分かる(握手)とリアルタイムで強く共感できる人物とか、

私も過去にそうだったなぁと、5年、10年前の自分を思い起こさせるような年若い人物は、ネットにも身辺にも、複数存在しますよね。

そして、後者の若い方のほうには、「自分のときはこうだったよ」「もっとこうしたら?」なんて、偉そうに余計なお節介やアドバイスをしてしまいがち。いかんよ。彼らも自分で考えて生きているのだからね。頼まれない限り、他人に干渉する必要はありません。

ともあれ、現在と過去には共感ができる。

記憶は美化されて、きれいな思い出に変質もしていく。それはいいのです。

それに引き換え、

5年後、10年後の自分は想像できないから、未来のモデルって存在しないよね。不思議。

10年後の私は、もしかしたらこういうふうになるかもなあーと思いを馳せてしまうこともあるけれど、それは推測でしかない。

ネガティブな想像は余計な不安まで膨らんでしまうので、無意味というより有害な妄想。心配ばかりするのって無駄な時間になりがちですよね。

未来は分からない。これ当たり前なんだけど、すごく不思議だなあと思ってしまう。

つまり、私の人生は唯一無二ということ。当たり前の事実ですが、ときどき再確認せずにはいられない。自分自身は唯一無二。だから自信をもって生きたいものです。

もちろん、弱っていて自信が持てないときもある。未来がどうなるか不安になって、私なんか駄目だなーって思うときのために、理想の未来を考えるのはいいと思う。

「あの人みたいになりたいな」という、ふわっとした理想像を置くのもいい。

そこに緩やかに近づけるよう、ポジティブに、かつマイペースに取り組んでいければいいな…と願う。