大予言のおかげで
ノストラダムスの大予言がはやったころ、私は小学生ぐらい。学校の友だちがまことしやかに教えてくれた「1999年7月に世界が終わる」という情報は衝撃的ではあったものの、へえ、そういうふうにできているんだなと信じる程度に幼く、自分が1999年に何歳なのかをノートに書いて計算しては「そうか、この年齢で終わるのか」と妙に気楽になったことを思い出す。
結婚もしないで若いまま死ぬわけか。お嫁さんになれるよう頑張らなくてもいいし、一生取り組む仕事も決めなくていい。全世界が滅ぶなら仕方ないよね。そういった言語化まではしていなかったものの、将来のことを真面目に考えない子ども時代を過ごしたように思う。
大予言を怖がることもなかった。母のほうが怖かったから。
母は気に入らないとがあると私を仏間に正座させ、私の手の甲に灸をすえる人だった。家の手伝いを少しでもサボると大好きな文庫本やランドセル(ランリュックというビニール製のものだったが)は、容赦なく外のごみ箱に捨てられた。犬の糞をビニールに入れてしばって捨てていたごみ箱の中から、泣きながら自分のリュックを取り出した時間。ほんとうにつらかった。
毒親の虐待。今となっては彼女も育児が大変で精神を病んでいたのかなとか、幼かったのかななどと思えるものの、当時の私は「わたしが悪いんだ」とずっと思っていた。
かわいそうな子ども時代の私には、だから、「数年後に世界がなくなる」という予言がむしろ日々の慰めになっていた。当然のことながら、1999年が過ぎても世の中はなくならず、それどころか個人的にとても激動の一年だったのだけれど。
ノストラダムスのおかげで「つらくても、いつかそのうち終わる」という安寧を得たのは大きかったかもしれない。メメントモリ。いつか必ず死ぬ。限りある人生を謳歌せよ。楽しいのが一番だよ。