切り株で休憩

ときどき花を買います

遠藤くん

Netflixで「結婚できない男」というドラマを観ていたら、はとバスに乗る回があり、一昔前の旅行社の風景が出てきた。そこで私は唐突に、遠藤くんのことを思い出した。

彼には会ったことがなく、声もうろ覚え。遠藤くんは祖母にかかってきた電話で名乗る青年だ。「阪急交通社のエンドウです」。

明治生まれの祖母は、近所の婦人会で積み立てをして、ときどき旅行に出かけていた。国内や海外旅行。大きなスーツケースから出てくる見たこともない外国のお菓子。外国の紙幣や硬貨を見せてもらうのが楽しかった。

あの当時、祖母が婦人会の幹事をしていたのだろうか。そういうキャラとは思えないし、詳細は分からないけれど、交通社の遠藤くんから電話がかかってくると祖母はうれしそうにしていた。

今思えば、営業とはいえ青年と話をするのは楽しかっただろう。目まぐるしく働く職業婦人だった祖母。非日常の楽しみを自分でつくり出していたわけで、それはとてもいいことだと思う。

そんな祖母を見て、父はよく「また阪急交通社の遠藤くんか」と馬鹿にした言い方をした。父のそういうところがわたしは嫌いだった。父は人が好きでやっていることを馬鹿にする傾向がある。

子どものころから褒めてもらった覚えがない。その結果、私は何をしても駄目なんだなと思わされたし、家は楽しくなかった。

今思えば、父は不器用で、褒めるのが苦手なんだろうし、褒めて伸ばす教育は当時流行らなかったんだろう。あと、母も祖母も家庭より自分という人たちなので、女たちのそういう様子が気に入らなかったのだろう。私もついでに、八つ当たりをされていたのかもしれない。

「また遠藤くんか」という父の口調は、当時の実家の様子をよく物語っている。父の家庭へのあきらめとイヤミ。そのうち父も外で遊ぶようになったし、母はそれに過剰反応したし、実家の家庭内不和はすごかった。

子ども心に離婚すればいいのにと感じていたが、そう思うことさえ面倒で、私は早くに結婚して家を飛び出した。遠くに離れて、彼らを反面教師として育児ができたので、今思えば、まあ、結果オーライだろう。

この結果オーライという言い方も父の口癖だった。結果オーライ。これは悪くないね。

今思えばという事柄は、記憶をたどるたびにいろいろと紡ぎだされていく。過去のできごとにも正解なんてないし、解答用紙があるわけでもないが、時を経たとして納得できる事柄が増えるのは、悪いことではないはず。

阪急交通社の遠藤くんは、今も生きているんだろうか。旅行社の仕事は好きだっただろうか。会ったこともない遠藤くん。祖母の余暇を彩ってくださって、ありがとうございました。