切り株で休憩

ときどき花を買います

評価不要の域には、なかなか

人は弱い。多くの人は孤独が苦手だし、寂しがりで、他者の評価を気にして過ごしていると思う。私もそう。

「誰も評価してくれなくてもヘイキ」

「他人は関係ない、私は私だから」

「俺はひとりが一番気楽なんだ」

という域には、なかなか達せない。このブログを誰かが読んでくれることもうれしいし、気持ちのよりどころになってる。開けてくださる方、いつもありがとうございます。

若い子が自撮りを加工してあげたり、映え写真を撮る気持ちも分かるよ。若いときは尚更、♡やフォローが欲しいし、誰かに可愛いと言ってもらいたい時期だった。自撮りをあげる世代ではなかったけども。

私たちの世代は、デジタルネイティブではないよね。会って話して評価してもらうことが多かったわけで。

ツールや方法はなんであれ、ポジティブな評価をしてもらえることは、自分の支えになってきたはず。

でも、だからと言って、他者の評価から得られる満足感だけでは「本当の充実感」はキープできないわけで、難しいところだと思う。

 

他者の評価+自分自身で得る満足感=充実感かな?

たぶんそう。それなら、自分自身の活動のみから得られる満足感を、増やしていけばいいってこと。今後やっていきたい活動を書いてみよう。

【仕事】

今の仕事。新しい仕事も? 辞めるという手もある?

【娯楽】

・読書…マイペースに読んでる

・コンサート+遠征…何件か行って満足しつつある

・ピアノと将棋…上達すべく少しずつ練習してる

・旅…駅名を適当に拾ってそこに行くのが面白そうだ。トライしてみたい。

・図書館は最近行ってないし、美術館や博物館、映画館も含めてもっと行ってもいいかも?

【家事】

・片付け…今春ずいぶん進んだ、この調子

・料理…庭で七輪出して焼くのをやりたい

・衣類…裁縫リメイクも面白そう。

【運動】

・ジムが習慣化してきた。家でなわとびしてる。散歩にはもっと行こうかな? 図書館等々と絡めて出かけたらいい。

 

冒頭に【他者の評価】という話を書いているのに、今後の活動として「友達と会う」を思い付かなくてちょっと笑ってしまった。

コロナもあって仲のいい飲み友達とあまり会わなくなったし、話す時間を欲してもいないなと気付いた。すごく高く評価はしてくれるのだけれど。ママ友としてたくさん話したし、もうお腹いっぱいなのかもしれない。今はそういう時期なんだろうな。

面白い。書いてみて気づくことって多いね。