切り株で休憩

ときどき花を買います

故人の日記帳

故人のネガティブな本音や愚痴を、うっかり垣間見てしまいました。

日記帳というより、メモ書きのような冊子に綿々と綴っておられた。

あらら、、とびっくりして、すぐに閉じましたが、見ちゃったなあという罪悪感と、こういうのやっぱり誰でも抱えてるんだなあという「気づき」があった。

天真爛漫な雰囲気で、何も悩みがなさそうな方だったけれど、そういえば、時々怒っていたよなあとか、同居人が困ってらしたなあとか、思い当たることもあって。

そうか、と納得しました。

自分よりもずいぶん年上の「大人」でも、そりゃあ、凹むこともあったわけで。皆がんばって生きてるんだなって。

私がこのブログに不安を書いてきたのと同じように、不平不満をメモ書きにアウトプットして、気晴らしされてたんだな。そうやって生きて来られた。そして、亡くなった。そうか、そうか。

本音を知ることができてよかった。私も愚痴があっていいんだなとか、それでも生きていけるよねとか。

不平を抱えても、究極の事実って、「他人と過去は変えられない、自分と未来は変えられる」ってことなんだよね。それを再確認できた。

いい気づきを得ました。未来の糧になりそうです。ありがたい経験でした。