貢献と犠牲は違う
周りに気を配るのが得意というか、よく気が付く人の場合、家庭内にせよ職場にせよ、相手の立場に立って、場がうまく回るように計らい、率先して手を動かすことって結構ありますよね。
お茶を淹れましょうか?とか、手が空いたからこの仕事やっておきましょうか?とかが苦にならない。感謝もされるし、まぁいいかと気持ちよく手を動かしてしまう。
私は典型的にそのタイプです。気を利かせて動いてしまうから、頼りにされたり、周りに甘えられたり、段々それが当たり前になってきたりする。ありがたいことなのですが、
自分に余裕がないときは、
「えっ、なんで私ばっかり?」とか「いつも○○してあげてるのに感謝してもらえない」といった、見返りを求める気持ちになってしまうと、いらいらして、疲れてしまうんですよね。
あれ、なんで? という気持ちになる。
今日もそういった気持ちになる出来事があったので、反省も込めてこれを書いています。
「なんで私ばっかり」というネガティブな気持ちでへとへとになってしまうときは、無理をして、身を削ってやってしまっているんですって。
余計なお世話で先回りして処理してしまったり、頼みを断れなかったり。「良かれと思って」であっても、自分の時間や労力に負荷がかかりすぎて、無理をして他人のために動くのは、ナンセンスです。双方のためにならない。
それは「貢献」ではなくて「犠牲」というようです。ハッとさせられました。貢献と犠牲は紙一重なように思いますが、大きな違いがある。言葉の見た目も全然違いますよね。
おさらい……
貢献とは、自分を犠牲にせず、自分ができる範囲で、相手がしてもらってうれしいと感じることに心を向けて、相手の求めるものを気前良く与えることです。
自分のためにも相手のためにも、無理なことは無理と伝える。できないことは無理をしない。他者も大切だけれど、まずは自分自身の時間や気持ちを大切にすることを心掛けたい。
あと、貢献のつもりであっても、誰かの気を引きたくて、感謝してもらいたくて、格好つけて、気前良いふりをして手を動かし続けるのは、よく考えたら自分のためだよね。残念な勘違い。
難しいけれども、貢献と犠牲の違いを心に留めて、行動を振り返りたい。ちょっと気を付けたいなあと思っています。