切り株で休憩

ときどき花を買います

育児が終わる年、2023

育児にまつわる「しなきゃいけないこと」は、できなくても、苦手でも、できるようにならないといけなかった。本能的にできること以外は、親向けのトレーニングが必要だ。

安全な寝床を確保すること、食べさせること、手伝いすぎないこと、せかさないこと、待つこと、信じること……

仕事は適材適所で交代もできる。ツールも使える。しかし、育児は代わりがいない。託児だのなんだのは補助的なもの。賛否両論あれど交代はむりだと私は思う。その不自由さはやってみないと分からないことだ。足を骨折して初めて、自由に歩けていたありがたさを知るのと同じ。

そして、うちの場合、育児は終わりに近づいた。いや、終わったと言っていい。無事に大人になってくれて、本当にありがたいこと。

特にこの年末年始は、子どもと話しているというより、大人と話している感じしかない。大人として、私や夫に意見したがる。一丁前になったつもりなんだなあ。好きなように言えばいいと思う。

子どもが親に言いたいことを言うのは、他人に対峙する練習なんだろう。さっき書いた「トレーニング」の一環に「子どもからなんだかんだ言われてもある程度は耐えること」を付け足さなきゃなと思う。老いては子に従えとはよく言ったものだね〜。ハイハイって尊重して受け流すチカラが必要。

社会に出て、いろんなことに揉まれるんだろうね。彼らのことはもう注視してなくて大丈夫。自立してくれてありがとう。楽しく暮らしてね、頑張ってね〜と淡白に願う、そんなお正月。

子どもを見送って見渡せば、余生には、私が「したいこと」だけが残っているようで。

私がしたくて、できるようになりたいこと。それを一つずつやっていって、できるようになれば私はうれしい。

自由ってシンプルだなあと思う。私がうれしそうにしていれば、彼らも遠くで気楽に過ごせるだろう。楽しい一年になりますように。