切り株で休憩

ときどき花を買います

育児をつうじて得たもの

思い出を美化しつつ、振り返ってみたい。

結論から言えば、子どもたちはどこに出しても恥ずかしくない人物に育った。病気やけがもしたけれど今は健康だし、好きなことをして楽しそう。とてもありがたいことだ。

小さく挫折した経験もあり、その一つひとつが彼らの糧になっていると思う。

いい人たちなので親である私たちに感謝の意を表してくれる。うれしい。とはいえ、彼らがいい人物になったのは本人たちの資質によるものだし、何もかも私の功績とは思っていない。育児が終了して子どもが大人になっても、親はメダルをもらえるわけではない。

では、私が育児をつうじて得たものは何か。

給与をもらえるわけではない。それどころか自分のことにお金をつかえない。時間は奪われる。自由に仕事もできなかった。

悪いことばかり? いやいや。喜びや苦しみ、焦りや笑いといったさまざまな感情を経験させてもらえた。そういった経験は本当に宝物だ。感謝してもし切れない。

「時間を奪われる」と書いたが、それはないものねだりをしていただけで、振り返ってみると奪われたものなんてなかったのだろう。喉元過ぎれば……という部分ももちろんあるんだけれど。

思い出は美化される。別れを惜しんでいる今は、まあ、それでいいと思う。

彼らも現在進行形でいろんな人に出会い、世界を広げていっている。その場その場でさまざまな感情を持ち、サボったり頑張ったりしながら、有意義な経験をしていってもらいたい。

未来のわたしや夫も同様だ。有意義に、楽しく暮らしていって欲しいと願う。